本サイト『水耕錦鯉 Aquaponics-Nishikigoi』の管理人です。『かにかに』とお呼びください。
『はじめに』でもお話ししましたが、2000年頃、『水槽錦鯉かにかに』というハンドルネームで、「水槽で錦鯉を飼いませんか? 略して『水槽錦鯉』へようこそ」という、ホームページを公開していました。
当時、『水槽錦鯉アドバイザー』という肩書きを思い付いたので、私的には『水槽錦鯉アドバイザー』として活動をしていました。今は一文字変更して『水耕錦鯉アドバイザー』が、私的な肩書きです。
公的な肩書きは、元○○県水産研究所専門研究員となります。
研究員当時の私的かつ個人的な研究テーマがアクアポニックスです。
○○県水産研究所は、『水産』業のための公的な研究機関なので、基本的に広く一般の水産業者に役立つような研究が行われています。残念ながらアクアポニックスは、すべての水産業者を対象とした内容ではないため、当時は(恐らく今も)公的な研究テーマとして扱われていませんでした。
本サイトを訪れた方から筆者の古巣に問い合わせをされてしまうと、古巣に迷惑を掛けてしまうため、ここでは県名は伏せさせていただきました。
同じ理由から、筆者の本名も現状では非公開とさせてください。
あたりをつけて、各県の研究所に問い合わせをしたり、探りを入れる行為はお控えください。いつか、古巣に迷惑を掛けないですむ状況が整ったら、本名で活動を行いたいと考えています。それまでは『かにかに』でお願いします。
その他の肩書きというか趣味というか興味のあるものというか、筆者本人を形作っている要素として、『魚飼い』、『シティファーマー』、『小説家・漫画原作者』、『80年代プラモデル愛好家』などがあります。
『魚飼い』については、本文中でもお話ししましたが、『羊飼い』に対応する水産業界の言葉で、魚飼育を生業とする人を指します。
厳密には、筆者は魚飼育を生業としているわけではありませんが、『魚の養殖』という言葉を使うより、『魚飼い』と呼んだ方が職人的に感じられ、かつファンタジーな響きがあるため、筆者お気に入りの呼び名です。
『シティファーマー』とは、畑で野菜をつくる本職の農家さんが『ファーマー』であるのに対し、都会に住み、販売・非販売を問わず、自分の家の庭や壁、プランターなどあらゆる隙間を利用して野菜を生産している人です。
筆者の場合は家が狭小なため、無理矢理隙間を見つけるしか栽培の術がないだけのことですが、農家になりたくても農地が手に入らず新規就農できないと困っている方々に、『シティファーマー』という方法もあるよと、提示したいと思います。
昨今は、どこのスーパーマーケットにも地場産野菜コーナーが設置されています。農地がないため、大規模に野菜を生産して市場へ出荷するのは難しくても、定期的に少量の地場産野菜を、スーパーマーケットの地場産野菜コーナーで販売して、収入を得るという方法があります。
もちろん、自宅に直売スペースを設けて、近隣の方々に自ら販売するという方法もあります。
既にお気づきと思いますが、上記の『魚飼い』と『シティファーマー』の融合から、筆者の『アクアポニックス』はできています。
石川県金沢市にある『金沢21世紀美術館』に、パトリック・ブランという方が作られた、壁一面に植物を植栽した『緑の橋』が展示されています。
その野菜なり果樹バージョンの確立が、『アクアポニックス』での筆者の目標の一つです。
続いては、『小説家・漫画原作者』です。
まだ、○○県水産研究所に奉職する前、筆者が学生時代の話になりますが、某出版社の小説公募賞に応募して入賞し、その後、入賞作が出版された経験があります。
売上げ的にあまり芳しい結果を残せなかったため、現在は絶版され、世の中に痕跡すらありませんが、小説は、今でも執筆しています。
また、過去には筆者の小説を知る知人に、漫画の原作を提供し、インターネット上で発表されたりもしていました。
筆者が学生であった当時は、もちろんインターネットなど普及しておらず、小説家になるためには、各出版社が募集している小説公募賞に応募して入賞するぐらいしか方法はありませんでした。
したがって、商業出版以外の方法で、自分の小説を多くの方に読んでいただき、評価や感想、続きへの期待を得る方法がありません。
現在では、インターネット上で簡単に小説を発表して、読者から直接感想を得る仕組みが整っています。
はたして自分が面白いと信じて書いている小説は、自分以外の人間にとっても同様に面白いのか、商業的に出版されていなくても、誰かに読まれて感想をいただいたり続きを期待され、モチベーションへ変えられる現在は、嬉しい環境です。逆に凹む声もありますが、その際は聞かなかったことにします。
とにかく、そのような理由から、『小説家になろう』という既存の小説発表サイトに、『かにかに』ではなく『仁渓(じんけい)』という名前で筆者の近作を掲載していますので、もし、よろしかったら感想をお聞かせください。
とはいえ、その際は本サイトへではなく、『小説家になろう』サイトの感想フォームから送信していただくようお願いします。
ちなみに、以前出版された小説のタイトルは、ペンネームではなく本名での出版であったため、ここではやはり伏せさせてください。
いつか再版されたり、インターネット上で発表できたら、嬉しい限りです。
ところで、今年(2020年)は、ガンプラ生誕40周年だそうです。
ガンプラとは、『機動戦士ガンダム』のプラモデルの略称です。
約40年前のガンプラブームの時、筆者は小学校3~4年生ぐらいでした。
若い方はご存じないと思いますが、現在の『鬼滅の刃』級の社会現象が、初代機動戦士ガンダムのプラモデルに対して起こりました。
日本中からガンダムのプラモデルが消え、工場がいくらフル稼働で生産しても、まったく生産が追いつかないという状況です。
筆者も、周りの友達と同様にガンプラにはまり、『機動戦士ガンダム』に続いて放映された様々なロボットアニメや戦車・飛行機のプラモデルに、ガンプラブーム以降、中学生の期間を通じて夢中になりました。
その後、高校受験があり、高校生になり、自然とプラモデル製作から離れるようになったわけですが、特に嫌いになってやめたわけではなく、単純に他にやらなければならないことができたからつくらなくなったというのが実際です。
そのため、筆者の子どもがまだ小さかった頃には、せがまれて連れて行かれたおもちゃ売り場で、子どものためのおもちゃと合わせて、いつの日かつくるつもりで、つい最新のガンプラを買ったりしてもしまいました。
筆者本人の心の中では、別にプラモデルをやめたわけではなく、ただの長い長い製作休止期間が、永遠に続いているだけの状況です。
やがて、ヤフオクに手を出すようになり、自分が中学生であった頃にはお金がなく買うことができなかった1980年代当時のロボットのプラモデルを、いつの日かつくるつもりで、密かに買い集めたりしています。
そういった1980年代に販売された当時のロボットプラモデルを好んでつくる(または筆者のように将来つくるつもりで部屋の片隅に積んでいる)のが、『80年代プラモデル愛好家』です。
筆者の自宅にも、いつつくるのかと家族に呆れられているプラモデルの箱の山が、恐らく一生分、押し入れに隠されて眠っています。
いつか、プラモデルの製作を再開した暁には、プラモデルのブログもはじめたいと考えていますが、はたして実際はいつになることかわかりません。
さて、以上が筆者のプロフィールというか趣味というか自己紹介です。
こんな筆者が書くブログなので、脱線せずに、読まれた方にどれだけ『役に立った』と思っていただける内容を届けられるかはわかりませんが、『水耕錦鯉 Aquaponics-Nishikigoi』を、これからどうかよろしくお願いします。
かにかに