「濾過は、魚飼いとアクアポニックスの基本」だという話までを前回しました。
ちなみに、「魚飼い」とは、「羊飼い」と同じようなニュアンスで使用する、水産業界の言葉です。気に入っているので、使ってみました。
アクアポニックスを始める人は、魚の飼育から入る人と、作物の栽培から入る人のどちらかがほとんどだと思います。
ちなみに、筆者は出身大学こそ農業大学ですが、「魚飼い」歴は幼稚園の時からなので、魚側スタートです。そのため、どうしても作物の栽培より、魚の飼育に重きを置いてしまう向きがありますが、ご了承ください。
さて、「濾過」の話です。
まず、自然界にある魚の生息地、どこか身近な湖沼河川を想像してください。
今、その湖沼河川にどのくらいの数の魚が生息しているかはわかりませんが、恐らく生息している魚の量に対して、水の量は、圧倒的に多いはずです。「水の量÷魚の量」という計算式を考えたとき、はたして魚1尾なり1キログラムあたりに対して、何リットルの水があるかは、ちょっと想像がつきません。
では次に、やはりどこか身近な、飼育されている魚の姿を想像してください。
金魚がいる定食屋の水槽でも、メダカが泳いでいる睡蓮鉢でも、どこかの家の庭池の錦鯉でも構いません。
先ほど同様、やはり「水の量÷魚の量」という計算式を考えたとしても、今度は計算ができると思いませんか?
例えば、一般的な60センチ水槽は、水量約54リットルなので、金魚が2尾飼われている場合、27リットル/尾です。金魚1尾に対して、27リットルの水になります。
金魚の体重が、もし100グラムであれば、270ミリリットル/グラムという計算になります。1グラムの魚を飼育するために、270ミリリットルの水があるという話です。
仮定の話なので、この水の量が魚にとって適正かどうかはさておくとして、頑張れば、鯉が泳ぐ公園の池であっても、アバウトな計算はできると思います。
何が言いたいかといいますと、規模の差こそあれ、飼われている魚にとって、水の量には限りがあるという話です。
ある容器に水が溜められて、中で魚が飼われています。
もしも、まったく水を入れ替えずに、その容器で魚を飼育し続けた場合、魚の糞尿や餌の食べ残しで、水はどんどん汚れていくでしょう。
仮に見た目は無色透明でまったく変わらなくても、水が次第に尿に入れ替わっていっているとしたら、全量の水が尿に入れ替わる日を待つまでもなく、どこかの時点で中の魚は死んでしまうだろうとは、簡単に想像できると思います。
場所が自然界であれば、河川で魚が糞尿をしたとしても、汚れた水は下流に流され、上流からは新しい綺麗な水が流れてくるため、あまり問題はないでしょう。
流れのほぼない湖沼だとしても、魚の量に対して、水量が圧倒的に多ければ、少しくらいの排泄物の汚れなど、やはり問題はありません。
けれども、限られた量の水が汚れた場合は、魚にとって致命的です。水中の汚れの割合がある一線を越えた場合、魚はあっけなく死んでしまいます。
魚を殺さないためには、水を綺麗な状態に保ってあげなければなりません。
綺麗というのは、水中に落ち葉のようなゴミがない状態をさすのではなく、水に毒物が溶け込んでいない状態を意味します。見た目の問題ではありません。
容器の水を綺麗にするための一番簡単な方法は、汚れた水を捨て、代わりに新しい水を入れることです。
けれども、容器が大きくなればなるほど、また容器の数が増えれば増えるほど、入れ替えに必要な水の量は多くなり、作業に手間もかかります。
できれば、水替えをしないですませたいし、するにしても、なるべく回数を減らしたいところです。
そこで「濾過」の出番です。「濾過」とは、水から毒物をなくす行為です。
ざっくりと「濾過」は、物理的濾過、化学的濾過、生物的濾過の三種類に分けられます。
意識しなくても、ご家庭で当たり前に行っている濾過が、物理的濾過です。
例えば、コーヒーフィルターや、茶こしの仕組みが物理的濾過にあたります。
目合いの細かい物に、水と物質を通そうとして、目合いを抜けられる水だけを通過させる仕組みです。目合いよりもサイズの大きい物質は抜けられずに取り残されます。コーヒーフィルターや茶こしの中に、コーヒー豆やお茶っ葉が残るイメージです。
水中に落ちた木の葉を、網ですくって取り除く理屈と、ある意味同じです。
魚の飼育の場合、ゴミとともにポンプで吸い上げた水を、綿のようなウールマットにあてて水だけを通過させ、ウールマットでゴミをキャッチする濾過装置があるのですが、その仕組みが物理的濾過にあたります。
ウールマットにキャッチされたゴミは、コーヒー豆やお茶っ葉をそうするように捨て、マットは水洗いして、再び使います。
しかしながら、物理的濾過では水中に溶け込んだ汚れまでは取り除けません。
化学的濾過とは、言葉のとおり、化学的に濾過をする方法です。
水中に溶け込んだ有害物質には様々ありますが、魚を飼育していて、魚の老廃物から最初につくられる危険な有害物質がアンモニアです。化学の実験で、鼻につんとくる刺激臭を、容器の口を手で仰いで風に乗せ、嗅いだ経験があるかと思います。あれです。いかにも、有毒そうな感じがするでしょう。
次に説明する生物的濾過の過程でアンモニアは、別のもっと毒性の少ない物質に変化していくのですが、魚の飼育容器内で、生物的濾過の準備が整うまでには時間がかかりますので、必要に応じて、化学的濾過の出番になります。
例えば、水中に溶け込んだアンモニアを取り除くためには、炭によって吸着する方法が一般的です。いわゆる活性炭です。
アンモニアが含まれた水中に活性炭を沈めておくと、活性炭がアンモニアを吸着します。頃合いを見て、水中から活性炭を取り除けば、活性炭と一緒に吸着されたアンモニアを、水中から取り除けます。
このような化学的な仕組みを利用した濾過方法が、化学的濾過です。
しかしながら、活性炭には、吸着できるアンモニアの量に限りがあります。
スポンジで水を吸い取ろうとしても、吸える限界を超えた量の水は、スポンジが吸いきれないのと同じ理屈です。
吸着しきれなかったアンモニアは水中に残り、次第に水質は悪化していきます。ですので、活性炭は定期的に交換し続けなければなりません。
やはり、お金と手間がかかります。
最後にお話をするのが生物的濾過です。
筆者が「濾過は、魚飼いとアクアポニックスの基本」だという言い方をする時の「濾過」とは、生物的濾過の仕組みを指しています。
魚飼い的には、本当は「濾過」の前に、「水替えは魚飼いの基本だ」という話をしたいところなのですが、アクアポニックス的には蛇足になるのでここではしません。いずれ、機会があればお話しします。
で、生物的濾過の話です。
実は、魚が生きている水中には濾過バクテリアという生物も住んでいます。
バクテリアなので、普通、肉眼では見えません。顕微鏡レベルの小ささです。
残念ながら、老眼の筆者には、顕微鏡でも多分見えません。
ざっくりと濾過バクテリアという言い方をしましたが、種類も一種類ではありません。筆者には発音できない、難しいラテン語の学名がついたバクテリアが、実は沢山存在します。この、総称して濾過バクテリアと呼ばれる生物の力を借りて、水を綺麗にする仕組みが生物的濾過です。
で、この濾過バクテリアたちですが、実は水中で勝手に濾過をしています。
もちろん本人(本バクテリア?)たちに、濾過をしているというつもりはないのでしょうが、人間が、意識をせずとも酸素を吸って二酸化炭素を出しているような話で、複数種類の濾過バクテリアたちの生理現象を組み合わさると、結果的に、水が綺麗になるのです。その過程を、生物的濾過と呼んでいます。
例えば、水中で魚が糞尿をしたり、餌を食べ残したりして、水が汚れます。
ある濾過バクテリアは、この糞尿や食べ残しを利用して、アンモニアをつくります。生物的濾過の第一段階です。
先ほども話しましたが、アンモニアは、強い毒性を持っています。
微量が水中に溶け込んでいるだけで、魚は死んでしまいます。
ですから、何も飼育装置のない容器で、多くの魚を飼育しようとすると、すぐに死んでしまうか、毎日でも水替えが必要になってしまいます。
このアンモニアを炭で吸着して除去すれば化学的濾過ですが、生物的濾過では、さらに濾過バクテリアの力を利用します。
さきほど汚れをアンモニアに変えた濾過バクテリアとは別種の濾過バクテリアが、水中のアンモニアを、亜硝酸態窒素と呼ばれる、アンモニアよりも毒性の少し弱い物質に変化させます。
「亜硝酸態窒素って何?」とか、「○○態窒素って?」という話は、とりあえず置いておきます。
ここでは濾過バクテリアが、アンモニアを、アンモニアより毒性の少し弱い物質に変化させるのだという理解をしてください。生物的濾過の第二段階です。
とは言ったものの、亜硝酸態窒素は、アンモニアよりは若干毒性は弱くなりますが、魚にとっては、やはり有毒な物質です。水中に一定濃度以上存在すると、魚を死に至らしめます。
そこで生物的濾過の第三段階です。
前二段階の濾過バクテリアとは、また別種の濾過バクテリアが活動して、亜硝酸態窒素を、今度は硝酸態窒素と呼ばれる物質に変化させます。
「硝酸態窒素って何?」という話は、やはり、とりあえず置いておきます。亜硝酸態窒素よりも、遙かに毒性の低い物質に変化させると思ってください。
硝酸態窒素は毒性が弱いので、アンモニアや亜硝酸態窒素と比較すると、水中に相当な量が蓄積するまで、魚を殺すには至りません。
逆説的には、相当量が蓄積すると、やはり魚は死んでしまうことになります。
アクアポニックスではない、通常の魚飼育であれば、一定程度、水中に硝酸態窒素が蓄積したであろう頃合いまで魚を飼育し、そこで水を交換します。
手遅れにならないよう、週に一回、定期的に水槽の水を半分交換するとか、そういう具合です。
以前、イベントで魚の飼育相談コーナーの回答者を担当していた際、相談に来た方から「水槽に濾過装置がついていても、水替えをしなければならないのですか?」という質問を受けました。
その際の回答は、「濾過装置は、あくまで水替えの頻度を減らすための装置だから、水替えは、やっぱり必要になります」というものです。
一般的に売られている水槽用の各種濾過装置は、装置内部が濾過バクテリアのすみかとなって、装置内部を通る水に対して、生物的濾過を行う仕組みです。
アンモニア→亜硝酸態窒素→硝酸態窒素と、水中に溶け込んだ毒物の毒性を弱めはしますが、完全に無毒化はできません。
ですから、「水替えは、やっぱり必要になります」という回答になります。
要するに、水替えは魚飼いの基本です。
いずれ、機会があればお話しすると言っていた、アクアポニックス的には蛇足な話に繋がりました。思ったよりも早く機会がきて一安心です。
「水替えがなぜ、アクアポニックス的には蛇足になるのかよくわからん」という声があがりそうなので、そのお話は次回します。
今回は、『濾過って何?』です。
濾過バクテリアの力を借りて、水中に溶け込んだアンモニアという強毒性の物質を、まず亜硝酸態窒素に、次いで硝酸態窒素という弱毒性の物質に変化させる行為が、「濾過」であると覚えてください。
「濾過」がなければ、アクアポニックスは成立しません。
「濾過」がなければ、魚の糞は液肥になりません。
詳しくは、次回、『肥料って何?』でお話しします。
かにかに